1905年(明治38年)
熱田神宮近くでオープン

戦前頃
大須に木造3階建ての本店を構える
戦時
本店は空襲で全焼

戦前頃の本店写真(詳しい時期不明)


1953年頃〜
戦争で本店・支店共殆どを失ったが、
昭和28年、現在の柳橋に“再起の道”を求めて木造2階建ての本店を構えた。

1960年頃〜
昭和35年、4階建てで新装開店。
カウンター、椅子席、小間4室、
中広間(30名様収容)2室、
舞台付大広間(70名様収容)1室、
と様々な目的に応じた利用が出来るようになった。

昭和46年1月に天婦羅かすの自然発火で全焼。

1971年頃〜
昭和46年11月 鉄筋5階建てで新装開店。
カウンター、椅子席、小座敷から大広間や大宴会場まで
550人の収容能力があった。

東西の一流落語家を招いて開いた「廣寿司夜寄席」
(昭和56年9月〜平成3年迄)も評判を呼んだ。
1階の立喰(カウンター)席。
広い入り口から暖簾をくぐって入ると、
板前の威勢のいい声がかかった。
 
(写真左)1階の玄関ロビーのししおどし。
(写真右)1階のホール席
 
2階の大小広間。
30帖(1室)、20帖(1室)、
10帖(2室)、6帖(2室)、4帖半(1室)と
宴会場から小座敷まで大小計7室を備え、
宴会、クラス会、家族の集まり、会社の会合など
あらゆる集会に利用することが出来た。
 
(写真左)3階の鳳凰の間。150名様の収容の大宴会場。
結婚の披露宴、慰安会、発表会など各種の催し物に利用される。
正面に豪華な舞台も設置してあった。

(写真左)4階の孔雀の間。120名様収容の洋風会場。
大小会議、発表会、パーティ、展示会などに利用された。
毎月1回の「廣寿司夜寄席」はここで開かれていた。

1992年頃〜
平成4年10月、ウインビルを竣工し、1・2階に廣寿司本店、
地下1階に柳橋料理「廣」を新装開店。

1階がお土産などの受付レジスペース。
2階がカウンター、テーブル席、パーティルーム、小座敷一室、

地下1階の柳橋料理「廣」は、
舞台のある大広間(80名様収容)を始め、
中小の趣のそれぞれ違った凝った個部屋があり、
宴会、クラス会、家族の集まり、会社の会合など
あらゆるシーンに利用することが出来た。

※平成13年4月末をもちまして廣寿司本店(柳橋)は、閉店しました。

名古屋の玄関、名古屋駅(新幹線口、メイチカ)にて、
名古屋柳橋発祥、昔ながらの廣寿司の味を変わらず
お楽しみいただけます。
今後もお引き立ての程宜しくお願い申し上げます。